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能登の半農半漁とは

能登には、海と田んぼがひと続きになった風土があります。

山の恵みは地下の湧水から海へ、海の恵みは人の暮らしを通って里へ。そんな循環の中で、人々は農と漁を行き来しながら生きてきました。世界農業遺産「能登の里山里海」が大切にしているのも、この“自然と共に続いてきた営み”そのものです。 


能登では、米づくりを暮らしの中心に据えつつ、漁や里山の仕事と組み合わせる「半農半漁・半農半X」という生活が長く続いてきた、と記録されています。 


海では江戸時代から定置網漁業が行われてきたとされ、村の漁業者が共同で網を運営する「村張り」も盛んだったと伝えられています。 

OWNERS

人物紹介

能登天領「深浦村」

中島町深浦は、七尾北湾に面し、海と里がつながる場所です。江戸時代の能登は、幕府直轄領(天領)として位置づけられた地域もあり、深浦村も「能登天領49ヶ村」の一つとして語られてきました。


この地は、ときに「天下百姓」と言われるほど農の営みが息づき、同時に海の仕事とも寄り添いながら暮らしが形づくられてきた土地です。農と漁が同居する――そんな“能登らしい豊かさ”の下地が、江戸の頃から静かに育まれてきました。

金子家の半農半漁

金子家は、能登半島の真ん中——中島町深浦に根を下ろした、江戸時代より続く漁師の家系です。


戦後まもなく、二代目・金子七右衛門が牡蠣養殖業を創業。定置網漁と牡蠣養殖、そして米づくり。海と田んぼを往復する営みの中で、家業を育て、暮らしを積み重ねてきました。


そして今、その「半農半漁」という暮らしを、現代のかたちに整えたのが、釣り船「釣七丸」と米農家「金子農園」です。


海では“体験”を。田んぼでは“食卓”を。

能登ならではの季節と風土を、まっすぐにお届けします。

釣七丸の由来

釣七丸は、能登の海と共に歩んできた金子家のルーツを受け継いでいます。江戸時代の初代・金子七右衛門の名にちなみ、「金」と「七」の文字を組み合わせて命名。



「丸に七」のロゴは、明治時代の金子家屋根の鬼瓦にも刻まれています。魚のようにも見える粋なロゴと共に、歴史ある船で七尾湾へ出航します。